介護職としての業務? 本来の仕事は?

特養としては初めての「夏祭り」イベント開催までの道のりも大変ではあったものの、目的が明確で、仲間との協働作業は楽しく行うことができた。


当然に通常の介護業務がシフトで組み込まれており、夏祭りに必要な物品の準備や、利用者と職員の当日の動き方や配置に至るまで、言い出しっぺの自分たちが率先して決めて行わなければならない。


かなり大がかりな作業と準備に時間がかかり、夏祭りの当日が近くなればなるほど、作業は深夜におよび、疲弊したがそれでも楽しかった。


あの利用者はいつもつまらなそうだ。夜間は特に不穏になるが、夏祭り当日はどんな表情を見せてくれるのだろうか?といった話を、本来の仕事の話を同僚とするというのはこういった感覚なのかと知ったのもこの時が初めてだったように思う。


施設スタッフには周知しきれない部分もあったが、何も協力しない輩からはリスクマネジメントや残業代について難癖としか言いようがない指摘もあった。


ただ、私は後先など考えていなかった。死に体だからこそ何でも出来るものだ。
それは自分にとって最初で最後になるだろうと意気込んだイベントだったからだ。


しかしそれでも後悔の念は残るものだ。


本当に「夏祭り」は最初で最後のイベントとなり、その後は行われていないと後輩とは会うたび昔話にはなるが、事業というのはある程度の効果を見込んで継続させるべきものであろう。


当日は大きなトラブルもなく、笑顔いっぱいの1日となった。

利用者の普段見られない笑顔を引き出せたのも最初で最後になったのかもしれないと思うとそれも寂しいが、もうそれも数十年前のことだ。


よく言われることではあるが、排泄介助や食事介助、入浴介助、移乗介助は現場介護職員にとっての主だった「業務」であり、それは当然に熟練度を上げて迅速に、かつ事故のないように行うべき大切な「業務」である。


ただ、それ以外に利用者の方々が生きがいを取り戻すことや、楽しみを得られる機会を考えて取り組むことが介護職の方々にとっての「仕事」であり、これを見つけられないと、利用者も、ましてや働く自分たちもいつまでたっても面白くない業務的作業を強いられる感覚に陥るだろう。


今も昔も介護施設の現場は戦場のようだと言われてきた。
仕事に対して志がある人も、最初から持っていない人も、過去にはあったけれど今はもう持ち合わせていない人など色々な人がいるだろう。


年功序列ではない人事考課の今、施設介護職でキャリアアップなど期待出来るものであろうか? 


自分でキャリアアップもある程度描いていかなければならない。


そして、ケアマネも包括も、社会福祉士もMSWも社会福祉協議会も、いずれ地域支援事業や社会資源の開拓、様々な支援機関や住人との話し合いといった矢面に立たされる場面を担い、専門性の向上という言葉と常に向き合っていかなければならない。


そこから逃げていても相談員職としての信頼はない。


だから、挑戦できそうなことにチャレンジして、自分なりに成すべきものを形にして、整理をつけてから介護の現場は退職しても遅くはないと思う。


次も介護の現場に行くにしても、どこの介護現場もさほど変わらない状況が待っている。


経験年数だけ積み重ねて、自分が言われて嫌な言葉を投げかけるお局ケアワーカーになるのは全くナンセンスだ。


問題意識のない職員は残念ながら成長しないのだ。


今の介護現場が退廃していると感じるならば、国も行政も、上司も先輩も親も親友も恋人もこの部分は誰も助けてくれない。


介護の現場が好きで堪らないという人もいる。

そして、私などでは到底思い付かない柔軟な発想を具現化し、発信している凄腕の福祉インフルエンサーも確かに存在している。


だが、資格は取ることはおススメしたい。


そして自分なりの福祉の仕事を根拠を持って切り開いていくしかない。


働きながらの資格取得は大変であるが、社会福祉士もケアマネも、弁護士や司法書士といった神のごとし難易度では決してない。


自分で仕掛けられる舞台に立って、継続的に仕掛けていく。これが仕事なのだと思う。


そうしたSNSの投稿が少しでも増えるように、自分も取り組んではいきたいものだ。


決意表明のような文章になってしまったが、もしもここまで読んでいただける方がいるなら感謝します^^


いずれにせよ介護の現場課題は根が深い。


また機会があれば書いてみたいとは思います。

介護職の今と過去

私は23年前に特別養護老人ホームの介護職として入職し、8年間従事した。


大学卒業と同時に社会福祉士受験資格は所有していたが不合格であった。


それはそれで良いのだ。自分は介護の現場を知り、いつか社会福祉士の相談員として、現場の知識や経験を生かせるのが一番説得力があるのだと考えていた。


振り返れば、20代は介護の現場に費やしたのであったが、早番や日勤、遅番から夜勤に至るまでよくやっていたように思う。
若かったから出来た業務なのかもしれないが、今にして思えば8年間は長かった。


昨今のSNSによる介護職の数々の呟きを先日からやっと拾う気持ちになり、見させてもらっている。
職場としての課題や本質は、処遇改善加算もなかった当時の状況とさほど変わらない印象を受けた。


・業務自体の大変さや利用者との関わりの難しさ。
・仲間が辞めていく寂しさと人員不足の現状から生まれてしまう職員や上司との軋轢。
・尊厳や倫理観に欠ける中年スタッフの存在と、それを改善出来ない上層部への不満。
・絶対的ニーズが存在するにも関わらず、良い未来が感じられない鬱屈を通り越した絶望。
・第一発見者が記載する事故報告書と、際限のない利用者の身体の青あざ。


それだけでは語りつくせない閉塞的な感覚が懐かしいとも思える。


退廃した心理的状況から良い業務など行えないだろうし、行きつく果ては退職なのだろう。
大げさではなく戦火に赴く兵士が、徴兵から帰参する感覚に近いのかもしれない。


私は28~9歳の頃に介護の現場はもう続けていけないだろうなと思っていた。
その時期で介護経験を5年経て、介護福祉士やケアマネジャーの受験資格に当てはまるからだったように思う。
結局、介護職を退職したのは30過ぎてからだが、当時の介護職の仲間と、夜勤明けに成城学園前駅近くの喫茶店に入り、夜遅くまで話し込んで、業務的なこと以外で、ちゃんと利用者を喜ばせることをやってから退職しようと語らっていたのは良い思い出である。


今でこそ、特養を始めとする施設は地域に開かれた存在としての認識をしてもらえるよう、それぞれが地域支援事業や外出活動を行っていたり、施設内にも地域交流スペースが設けられてはいるが、当時の私の勤めていた特養には施設内の行事やイベントも存在していなかった。


現在の施設に勤めている方々からすると当然なのだろうが、夏祭りイベントを企画し、初めて開催したのが、私が30歳の夏であった。


続きはまた次回記載することにする。

社会福祉士事務所として


令和5年6月1日から独立開業しています。

12月現在で成年後見受任を8件受任中です。


今日の今日まで、社会福祉士やケアマネジメント、介護に関する業務に関連するツイートなどはあえて見てこないできました。


釣りやガンプラ、総合格闘技やプロ野球、サッカー、イラストレーターのナガノ先生の作品、ラーメンや映画鑑賞等、かなり趣味の範囲が広くて、SNSは専らそれ関連でした。


業務に関連するSNSの活用は今後必須ですが、予想どおり、制度や人災不足、財源のあり方に対しての苦言や不満が散見され、それらをあまり見たくなかったのだと思います。


色々な方のツイートなりブログを見ましたが、主任ケアマネがやたら増えたな~という印象です。

私が地域包括支援センターに勤めていた時は、まだ包括の管理者や、ケアマネ事業所の一部管理者くらいしか、主任ケアマネは配置されていませんでした。


ケアマネを5年頑張って、尚且つ、大変な研修をクリアーされた方々がこんなにも多いからでしょう。


ケアマネジメントの醸成なのかどうか、ケアマネも介護保険の利用者もこれをどう思っているのかは分かりませんが、居宅介護支援事業契約の説明も内容も、後見人として立ち合った時に、一昔前とは変化していて驚きました。


長くなりました。また次回に。