介護職の今と過去

私は23年前に特別養護老人ホームの介護職として入職し、8年間従事した。


大学卒業と同時に社会福祉士受験資格は所有していたが不合格であった。


それはそれで良いのだ。自分は介護の現場を知り、いつか社会福祉士の相談員として、現場の知識や経験を生かせるのが一番説得力があるのだと考えていた。


振り返れば、20代は介護の現場に費やしたのであったが、早番や日勤、遅番から夜勤に至るまでよくやっていたように思う。
若かったから出来た業務なのかもしれないが、今にして思えば8年間は長かった。


昨今のSNSによる介護職の数々の呟きを先日からやっと拾う気持ちになり、見させてもらっている。
職場としての課題や本質は、処遇改善加算もなかった当時の状況とさほど変わらない印象を受けた。


・業務自体の大変さや利用者との関わりの難しさ。
・仲間が辞めていく寂しさと人員不足の現状から生まれてしまう職員や上司との軋轢。
・尊厳や倫理観に欠ける中年スタッフの存在と、それを改善出来ない上層部への不満。
・絶対的ニーズが存在するにも関わらず、良い未来が感じられない鬱屈を通り越した絶望。
・第一発見者が記載する事故報告書と、際限のない利用者の身体の青あざ。


それだけでは語りつくせない閉塞的な感覚が懐かしいとも思える。


退廃した心理的状況から良い業務など行えないだろうし、行きつく果ては退職なのだろう。
大げさではなく戦火に赴く兵士が、徴兵から帰参する感覚に近いのかもしれない。


私は28~9歳の頃に介護の現場はもう続けていけないだろうなと思っていた。
その時期で介護経験を5年経て、介護福祉士やケアマネジャーの受験資格に当てはまるからだったように思う。
結局、介護職を退職したのは30過ぎてからだが、当時の介護職の仲間と、夜勤明けに成城学園前駅近くの喫茶店に入り、夜遅くまで話し込んで、業務的なこと以外で、ちゃんと利用者を喜ばせることをやってから退職しようと語らっていたのは良い思い出である。


今でこそ、特養を始めとする施設は地域に開かれた存在としての認識をしてもらえるよう、それぞれが地域支援事業や外出活動を行っていたり、施設内にも地域交流スペースが設けられてはいるが、当時の私の勤めていた特養には施設内の行事やイベントも存在していなかった。


現在の施設に勤めている方々からすると当然なのだろうが、夏祭りイベントを企画し、初めて開催したのが、私が30歳の夏であった。


続きはまた次回記載することにする。